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あとがき
 昭和五十四年四月二十四日、池田大作創価学会第三代会長は勇退を表明した。
 勇退直後の五月五日、池田名誉会長は創価学会神奈川文化会館で「正義」と墨書した。その大きな「正義」の文字に万代不滅の魂が込められた。
 この時代、創価学会歴代会長が体現し続けた「正義」、創価学会員が誇りとし生きがいとしてきた「正義」、その師弟共戦の証であった「正義」が、歴史の暗雲に蔽われようとしていた。何ゆえに。
 出家の頂点に立つ法主≠ェ、裏切り者の創価学会顧問弁護士の口舌に乗せられ、その掌中の玉≠ニ化したためである。
「山崎正友と宗門問題」。このテーマを書くにあたって、狂った法主≠ニしての評価の定まった日顕のみならず、細井日達管長に言及しなければならない――。池田会長勇退の時の法主≠ェ細井管長であるならば、それは不可避である。しかし、細井管長にまつわる真実を書くことに相当程度の困難が伴うことは、筆を執る前に予見された。これまであまり触れられてこなかった領域であったからだ。
 人は変節する。
 山崎正友にしても、最初は信仰の寸心を抱いていた。だが、金と女で狂った。では、一宗の管長ともあろう者が、なぜこのような堕落した者の虚言に惑わされたのだろうか。
 下地もないところに、山崎の吐く妖言が入り込む余地はない。細井管長もまた、出家≠ネらではの心の隙を持っていた。
 日顕もそうだが、在家の弘教の総大将たる者が、海外でとてつもない活躍をし、それが評価され始めると猜疑の芽を宿し始める。果ては、この在家の棟梁が我が立場を危うくするとすら考えるようになる。
 法華経勧持品第十三には、末法の時代において法を弘める地涌の菩薩の難が列記されている。その難の一つ。
「遠離塔寺」
 この難を御本仏・日蓮大聖人は受けた。建長五年四月二十八日の立宗宣言の日、清澄寺より刀刃をもって追われた。以降、日蓮大聖人はあらゆる堂塔伽藍より遠ざけられる。
 牧口常三郎・創価学会初代会長、戸田城聖・創価学会第二代会長は、ともに戦中の宗教弾圧の際、昭和十八年、大石寺より「登山停止」「信徒除名」処分にあっている。牧口会長は、その処分が下されたまま殉教した。
 戸田会長は昭和二十七年にも、小笠原慈聞の僧籍復帰の文書を日蓮正宗ぐるみで偽造され、日蓮正宗の宗会で「大講頭解任」「登山停止」を議決された。
 昭和五十四年四月、池田大作創価学会第三代会長は、細井管長の迷妄、増長した出家らの狂奔、それを煽る「城者破城」の典型ともいえる山崎正友の撹乱、マスメディアの狂騒によって勇退を余儀なくされた。かえすがえすも残念なことは、このとき創価学会の永遠の魂である師弟不二が相対化されようとしたことである。もって弟子ら一同、この時の師の無念を骨に刻んで忘れるべきでない。
 平成三年十一月二十八日、狂乱する日顕は創価学会を「破門」にした。創価学会員全員が勧持品第十三において予言された「遠離塔寺」の難を受け得た。
 今、つらつら現状を見るに、法主≠生き仏と崇め、狂い、衰微する宗門の姿がある。片や、それに比して隆盛する創価学会。そこには創価学会初代、二代、三代会長の魂が煌く。創価学会員は無量の福徳に包まれ、社会に貢献する。その相違は、日蓮大聖人の教法がいずれに流れているかを明白にする。
 本書において、これまで明らかにされなかった多くの事実を踏まえ、正邪を弁別できたものと私は考える。
著者記す
 平成十四年十一月

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